ワイルド、福田恆存訳『サロメ』(岩波文庫、1959年)



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ヨカナーン
……女こそ、この世に惡をもたらすもの。話しかけてはならぬ。聽きたくない。おれが耳をかたむけるのは、たゞ神の御聲のみだ。


エロド
おれには解らぬ。自分で死ぬるのは、ローマの哲人だけと思うてゐたが。さうではないか、ティゲリヌス、ローマの哲人はみづから死ぬるといふではないか?
ティゲリヌス
なかにはみづから死ぬるものもございます、王さま。それはストア派の輩にございます。ストア派と申しますのは、まつたくの田舎者にございます。とにかく、全く度しがたい輩でございます。私などの眼には、たゞもう度しがたい輩としか見えませぬ。
エロド
おれもさう思ふな。みづから死ぬるなどとは、度しがたい奴等だ。
ティゲリヌス
ローマでは物笑いの種にございます。皇帝御自身、その連中を揶揄した詩をお作りになりました。それが國中で歌はれてをります。
エロド
おゝ!奴等を揶揄した詩を作られたといふのか?ローマ皇帝はさすがだな。なんでもお出來になる……


エロド
その話はもうたくさんだ。おれはとうに答へてゐる。おれはお前らにあの男を手渡したくないのだ。あれは聖者だ、神を見た男なのだ。
第一のユダヤ人
いゝえ、ありえぬことでございます。かの預言者エリアこのかた、神を見たものはひとりもありませぬ。エリアこそ、神を見た最後のもの。それに、今の世に神はもう姿をお現しなどなさいませぬ。神は隠れておいでなのです。おかげでこの國にも大きな禍が生じるヤうになつてまうたのでございます。
第二のユダヤ人
そもそも、預言者エリアが神を見たかどうか、それすら誰にもわかりはせぬ。見たのは、あるひは神の幻だつたのかもしれないからな。
第三のユダヤ人
神が隠れるなどといふことがそもそもありえない。神はいつでも姿を現しておいでだ、しかも、あらゆるもののなかにな。神は惡しきもののなかにもゐる、善きものと同じにな。
第四のユダヤ人
そんなことを言ふものではない。それこそ危險この上ない邪説だ。アレクサンドリアの學者たちが言ひだしたことだが、あそこでは専らギリシアの哲學がはやる。そのギリシア人といふやつ、もともと異教徒だからな。割禮もしないときてゐる。
第五のユダヤ人
神の御業は誰にも解りはせぬ、全く測り知れぬものがあるからな。みんなが惡かもしれぬ。人間に何が解るものかよ。肝腎なのは、たゞ默つてあとについて行くことだ。神は強いからな。その前には弱い者も強い者もありはせぬ、みんな片端から打ちのめされてしまふのだ。神は人間のことなど歯牙にもかけてはをられぬのさ。
第一のユダヤ人
全くそのとほりだ。神は恐ろしい。弱いも一緒くた、碾臼の中の穀物同然、みんな打ちのめされてしまふのだ。だが、あの男が神を見たわけがない。神を見た者は預言者エリア以來ひとりもゐないのだ。



SEIICHI MORIMOTO <森本誠一>
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