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鷲田小彌太『論理的思考を身につける本』(日経ビジネス人文庫、2002年)の読書履歴

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 2003年6月20日、カナート洛北にて購入。同年7月9日より読み始め、同日読了。


本文の感想

『論理的思考を身につける本』と題されたものの割りに、筆者の主張はさっぱりせず、胡散臭い話が終始一貫している。感想はF。


本文からの抜粋と注

かつて、「家族」「ムラ」「社会」「国家」を動かしていた論理は、家長・旦那・社長・天皇(元老)であり、彼らに力を与えていたのは、家父長制・村落共同体・徒弟制度・「国体」(万世一系の国家体系)という共同体のシステムと意識でした。いってみれば、伝統の力、習慣の力、吉本隆明流にいえば、「共同幻想」の力です。(上掲書、93頁)

胡散臭さがふんだん漂う一文。吉本にしろ柄谷にしろ文芸批評家と呼ばれる者たちに私が反感を抱くのは、このいい加減な思考である。彼らは社会システムを説明するのに、あたかもそこに内在しているかのように何らかの装置や体系を捏造し、それを以って一部の愚衆に大いなる共感を得、さらにそのことで自らの権威までも二重に捏造するのである。本来あるべき姿は社会システムの分析とそれによる解明であるが、彼らのやり口は社会システムに合うようにその構成要素を取り上げることである。

上の文章にしろ、「共同体のシステムと意識」をとても明快に「家父長制・徒弟制度...」などと説明してくれてはいるが、それが本当に正しいという合理性はどこにも見当たらないのである。さらに文芸批評家はそれらに「伝統の力」や「習慣の力」などと仰々しい名前を付けることで一部の愚衆から「鋭い洞察力を備えた人だ」という根拠の無い評価を受けるのである。



本を読みたい。しかし、貧しい。だから公共図書館を地域にどんどん建て、読みたい本を購入してほしい。こういう人のなかには、財布が貧しいのではなく、精神が貧しい人が多いのではないでしょうか。図書館を、ただで本を読むことのできる救済センターと考えているところからは、貧しい文化しか生まれない、と考えていいのです。(同書、153頁)

この文章は同書の中でも特にいかがわしい箇所である。そもそも公共図書館に読みたい本を購入して欲しいという「欲求」がどのようにして「精神の貧しさ」へと繋がっていくのか、その論理的連関性について全く説明が無い。最後の一文は決定的である。



ところが、日本語は、アジアで唯一、どのような言語をも「翻訳」可能なのですね。どんな言語とも対応可能、交通可能、ということです。そして、事実、日本語の歴史とは、「翻訳」の歴史です。(同書、162頁)

福沢諭吉の『文明論之概略』を思わせるような文章ですが、この箇所が同書の中では最もいかがわしかった。あえて私が感想を述べるまでも無いと思う。



でも、血液型が合わないから、結婚できないとか、離婚する理由になるとかは、それが真剣だとすると、本物のアホか、病気の類です。まともじゃありません。あるいは、理由が別にある遁辞の論理ですね。口実です。いずれにしろ、そんなことを理由に立てる人とは、もちろん、結婚しない方がいいに決まっています。(同書、192-3頁)

最後の一文は別にしろ、唯一噴き出してしまった箇所。前半部分は同感である。



日本人の英語力は、中高大と十年間も習っているのに、ほとんど役に立たない、という「事実」は、日本人の間だけでなく、諸外国の人の間でも周知の事実となっています。(同書、230頁)

まず「事実」ということばをこれほどまでに不用意に用いている同書に『論理的思考を身につける本』などと題されていることが私には信じられない。そもそも「役に立たない」と言ったときに「何に対して」役に立たないのかという対象を抜きに議論を進めることは不可能である。彼は「英語力」を観光客に道案内ができる能力とでも考えているのであろうか?


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