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2003年7月14日(月) 四谷シモン『人形作家』(講談社現代新書、2002年)の読書履歴

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 2003年6月13日、恵文社一乗寺店にて購入。同年7月14日より読み始め、同日読了。


本書の概要

四谷シモンの自伝的要素が強く、人形、ひいては芸術に関する彼の考えを綴ったものでもある。


感想

自動人形はブラザーズ・クエイ監督の「ストリート・オブ・クロコダイル」に出てくる人形に、「ナルシシズム」は「マルコビッチの穴」に出てくる人形に大変似ているとかねてから思っていた。年代順には「ストリート・オブ・クロコダイル」、四谷シモン、「マルコビッチの穴」であるが、これらの影響関係を知りたくて読んでみたが触れられていなかった。感想はB。


本文からの抜粋と注

このとき僕は、笠井さんという個人を超えて、社会とか世間とかいうもの全体に対して「今にみてろ」と感じたのです。殴られた痛みよりも自尊心を傷つけられた精神的な痛みでした。こいつに一撃くらわせなければ、という復讐心が心に深く刻まれました。と同時に、もうなにがあっても大丈夫だ、これをバネにしてやるという決意もありました。この一件は、母には言いませんでした。言いつけてやろうとも思いませんでした。そのとき僕は笠井さんを超えた世間に対して「今にみてろ」と誓ったのです。(上掲書、31頁)

これは四谷シモンの母親の愛人であり、よきパトロンでもあった笠井という男が、四谷シモンの母が別の男と浮気をしているのに憤慨して、公園で四谷シモンを殴りつけた出来事を回想した場面である。今の彼を作り上げた一つの要因にルサンチマンが深く関わっているということでしょう。



マダム・ルプラはお礼に、僕の部屋にたくさん並んでいた蚤の市で買ったアンティーク・ドールに、この子はマリー、この子はマゴーと、一体ずつ名前をつけてくれました。人形の個性を一体ずつ見分けていなければ名前はつけられません。人形を愛するということは、そういう一見当たり前のなんでもないところに現れてくるのだと実感しました。(同書、92頁)

初めてフランスに行ったときの回想より。さして重要でもなさそうだが、とりあえず抜粋しておいた。



体つきにしても、あばら骨は浮いているのに、腰から下はしっかりしています。アンバランスなのに妙にそれらしく力強くて、面白いものになっていると思います。この人形は彫刻とは一線を画したもので、きちんとした人体表現の基礎を踏まえていないのです。思いこみ、腕力、エネルギーで作り上げた肉体表現です。

きちんと基礎のなかにおさまった人体表現は、人の体はそうなっているというだけで、ときに弱く、面白みのないものになってしまいます。僕の人形はそうした基礎がなく、デッサンの狂いなどは何も考えず、「人形」への思いだけで作った、そうであろうというくらいの肉体部分への思い込みからなるコラージュです。あばら骨なら、あばら骨の直感的イメージ、おなかならば子供だからポーンと張っているんじゃないか、と思いをめぐらせながら作っていったものです。僕はいつも多分そういうものがいいのではないかと思っているのです。(同書、126頁)

四谷シモンの人形観ないし芸術観が窺える箇所。



この「ドイツの少年」もそうですが、僕の人形の多くは性器がついているので、それだけでエロティシズムを表現しようとしていると思われることがあります。僕としては人形に性器をつけるのは「必要最低限」の表現のつもりで、性器をつけることによってエロティシズムを表現するという意図はありません。

またこの「ドイツの少年」だったか、澁澤龍彦さんが僕の人形を見て、「なんでもっとペニスを勃起させないの」と尋ねてきたことがあります。僕としては、ペニスに関しては日常のたらりとした感じがいい、たとえば勃起したペニスはフィニッシュしか連想させず、表現としてつまらないと思います。

ペニスに限らず、人体を作るときに固い素材で軟らかく表現するのはすごく難しく、高度なテクニックが必要です。聞いた話ですが、彫刻の世界でも、着物のヒダや髪の毛はかなりの技術がないと軟らかく見えないのだそうです。このテクニックの最高峰は、医療標本でしょう。一度、人体標本のモノクロ写真集を見たことがありますが、そのリアルな表現のわいせつさには驚嘆しました。 (同書、127頁)

先ほどの続き。



死んだ人間も人形に近いなと思います。僕にとっていい人形とは、「このお人形さん、まるで生きているみたい」と言われるような人形ではなく、息がとまって死んでいる人間に近い、いてついた人体表現です。そして人形は動かずにずっと佇んでいるのがいいと思っています。(同書、128頁)

四谷シモンの人形観が表されている。



ベルメールの人形は、各部分が動くように関節のある自在人形で、江戸時代には日本にもありました。ところが、日本の人形は、その後ポーズを決めた人形を制作する世界に進み、自在に動く人形はいつのまにか玩具・遊び道具という扱いとなってしまいました。(同書、140頁)

ハンス・ベルメール(1902-1975)はドイツ領カトヴィツェ(現ポーランド)に生まれ、フランスで活躍した人形作家。シュールレアリストで、四谷シモンが大いなる衝撃を受けたという。



この「機械仕掛の少女」は、真鍮板や歯車がわざと剥き出しになってます。そのことによって、人形に皮膚感覚と機械という素材との不協和音による力強さがでてきたように思いました。つまり、一見見合わなさそう素材どうしのハーモニー、一見マッチしていないようにみえるけれd、紙や木に鉱物質のものが組み合わされることによって見た目にも力強さが出て、思わぬ方向に作品が広がりました。

また、この作品を作ることは自分にものすごく勉強になりました。箱に入った「機械仕掛の少女」は全身マネキンのようなものとは違ってどこか壊れているようにみえます。こういう手法をとったことで、初めて人形がオブジェ的になりました。(同書、163頁)

「機械仕掛の少女」は自動人形期の作品で、独特の雰囲気が漂わせている。



こうして生まれた「ナルシシズム」「ピグマリオニスム・ナルシシズム」などの作品は、絵画や写真のセルフポートレートとは少し違っていますが、おそらく「これも僕です」といえるものではないかなと思っています。 (同書、194頁)

行き着くところは自己愛であり、その表現形式が人形愛ということなのであろう。自己愛と人形愛との交叉(キアスム)にいるのが、今の四谷シモンなのであろう。同書には「『人形は人形である』というところから出発しましたが、人形は自分で自分は人形という、自己愛と人形愛の重ね合わせが現段階での僕の考え方です」と最終部分で締めくくっている。


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