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金悠美『美学と現代美術の距離―アメリカにおけるその乖離と接近を巡って』(東信堂、2004年)

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 2005年4月21日に京都教育大学附属図書館で借りる。同日中に読み始め、2005年4月28日に読み終える。


本文の感想

 退屈な内容で読み終わるまで一週間もかかってしまった。

 本書の内容は、アメリカ美学の歴史をアメリカ美学会設立時期より振り返り、アメリカにおける分析美学の興隆と、その原因を芸術家や批評家との連関で社会史的な背景などを手がかりにしつつ考察しているものである。とはいえ本質的にはサーベイ論文の域を出ておらず、アメリカ美学会での分析美学に対する関心が希薄化してきたという一見統計学的に見せかけた検証も、他の関連諸学会の設立などの影響が一切検討されておらず、非常に根拠の乏しい跳躍的な推論が随所でなされていると言わざるを得ない。ただ、後者の点に関しては筆者も「あとがき」において、「アメリカ美学という枠を措定するために美学会という制度に依存したが、逆にその制度に対する外からの視点や批判が抜けてしまっている」と反省している。

 本書でも触れられているように、日本における美学の関心はアメリカの分析美学から離れ、「美學」での論文もドイツやフランスを中心とした大陸系の美学理論に依拠したものが多数を占めている。こういった中で、アメリカでの分析美学の流れを体系的に紹介し、その衰退の原因を探っている本書は、一読の価値があると言えるだろう。

 なお、本文の感想とは関係ないが、78頁3行目の見出し番号、94頁1行目の「変えが」、141頁10行目の「明らかし」、153頁4行目「絵に使って」にそれぞれ誤植がある。


本文からの抜粋と注

 1999年の全国大会で日本美学会創立50周年を記念するシンポジウムが催された際、司会者の西村清和は次のような提議を行った。日本美学会では英米の分析哲学者に関する論文が、デューイ、グッドマン、ダントーの三つぐらいしかない。一方で日本の哲学あるいは倫理学の領域では英米の分析系の非常に有能な研究者たちが育って、一線で活躍している。美学会はその麺では非常に立ち遅れており、これも将来の研究課題ではないかと。(上掲書、54頁)



 それに対して分析美学は、芸術と美的価値を自然と結びつけることに真っ向から反対する。シュスターマンは、分析美学の原点であるムーアの『プリンキピア・エチカ』(1903年)の中に、この自然主義に対する強力な戦略を見る。すなわち、我々は自然な質を持つある対象が実際に美しいかどうか常に問うことができるから、美はいかなる自然の質とも単純に同一視できない。もし美が自然の質と同定できたなら、このような問いはまったく意味がなくなってしまうのである。(上掲書、127-128頁)

 G.E.ムーアの『プリンキア・エチカ』が美学の領域では分析美学の原点と考えられているなどという話は始めて聞いた。ちなみに、美学でムーアといえば一般に建築家のヘンリー・ムーア(1898-1986)を指すのだが、この本では突然ムーアが『プリンキピア・エチカ』を著したと出てくるので、読者の中にはH.ムーアが『プリンキピア・エチカ』を著したと誤解する者もいるのではないだろうか。


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