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アレクサンドル・デュマ(山内義雄訳)『モンテ・クリスト伯(一)』(岩波文庫、1956年)

読書履歴

 京都市中央図書館で借りる。2005年7月19日に読み終える。


本文の感想

 第七巻の読書履歴に譲る。


本文からの抜粋と注

 「あなたはどうだ?」と、ファリアが言った。「なぜあなたは、或る晩テーブルの脚で獄丁をなぐり殺し、その着物を着て脱走しようとしなかった?」

 「考えつかなかったまでなのです。」と、ダンテスが言った。

 「それはあなたが、そうした罪を犯すことを本能的に怖れていたからのことなのだ。それをすることを、考えられないほど怖れていたからのことなのだ。」と、老人は言った。「たといそれが、ごくつまらない、やってのけてかまわないようなことであっても、われわれの自然の本能は、われわれが、やっていいことからそれないようにいつも見はっていてくれる。生まれながらに血を見るのが好きな虎の場合を見るがいい。それが性質でもあり目的でもある虎にとっては、ちょっとしたきっかけさえあればじゅうぶんなのだ。鼻の働きが、自分の手近かに餌物のいることを教えてくれる。すると虎は、たちまちそれに飛びかかる。それに跳りかかって引き裂いてしまう。これが虎の本能だ。そして、虎は、そうした本能に従うのだ。ところが、人間は逆に血を嫌う。人殺しを厭と思わせるもの、それは社会の掟の結果とはちがう。自然の掟にほかならないのだ。」

 ダテンスは、すっかりまごつかざるを得なかった。それは、自分でも気がつかないうちに、自分の頭のなか、というより、むしろ自分の心のなかに起こったことを説明していてくれたからだ。つまり、考えのなかには、頭から出てくるもの、心から出て来るもの、こうした二種類のものがあるわけなのだ。(上掲書、282-283頁)



 「ローマでは、図書室におよそ五千冊ばかりの書物を持っていた。それをたびたび読みかえすうち、うまく選択した百五十冊の本さえあれば、それが人間のあらゆる知識を完全につづめたものとはいえないまでも、少くも知っておいて役立つもののすべてが得られることを発見した。わしは三年の間、くり返しこの百五十冊の本を読んだ。そして、逮捕されたときには、それらをほとんどそらんじてしまっていた。牢にはいってから、わしはちょっと記憶をはたらかせただけで、それをすっかり思い出すことができた。いまでも、トュキューディデース、クセノポーンーネス、プルータルコス、ティトス・リウィウス、タキトゥス、ストラダ、ヨルナデス、ダンテ、モンテェニュ、シェークスピア、スピノザ、マキャヴェルリ、ボシュエなどをそらんじてお目にかけよう。ここに挙げたのは、そのうちのほんのおもだったものに過ぎないのだ。」(上掲書、285-286頁)



 「いかがでしょう、わたしのようなものといっしょにいて退屈なさらないためにも、御存じのことを少し教えていただけますまいか。」と、ダンテスが言った。「もちろんわたしのような、教育もなければ頭もない友だちをお持ちになるより、むしろ一人でいらっしゃりたいことはわかっていますが。でも、この願いを聞き入れていただけましたら、もう脱獄の話などしないことをお約束しましょう。」

 司祭は微笑した。

 「ああ! 人間の学問などは、とてもかぎられたものなのだ。あなたに、数学、物理学、歴史、それからわしに話せる三つ四つの現代語を教えてあげたら、わしの知っていることはそれで全部だ。わしの頭からあなたの頭にそれをうつすには、二年もあったらじゅうぶんだろう。」

 「二年!」と、ダンテスは言った。「二年ですっかりおぼえられるとお思いですか?」

 「応用だったらむずかしかろうが、原則だけならじゅうぶんだ。学ぶことと知ることとはべつだ。世の中には、物識りと学者とのふた色があってな。物識りをつくるものは記憶であり、学者をつくるものは哲学なのだ。」

 「では、その哲学が習えましょうか?」

 「哲学は習えぬ。哲学とは、学問の用を知っている天才のみにゆるされるあらゆる学問の総和なのだ。哲学とは、輝きわたる雲だ。キリストが天に昇ったのも、つまりこの雲に足をかけたからのことなのだ。」(上掲書、309-310頁)


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