デカルト(谷川多佳子訳)『方法序説』岩波文庫、1997年

提供:mrmts wiki


第1部

正しく判断し、真と偽を区別する能力、これこそ、ほんらい良識とか理性とか呼ばれているもの〔中略〕大切なのはそれを良く用いること(8頁)


理性すなわち良識が、わたしたちを人間たらしめ、動物から区別する唯一のもの(9頁)

わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心(17頁)

第2部

唯一の神が掟を定めた真の宗教の在り方は、他のすべてと、比較にならぬほどよく秩序づけられているはずなのは確かである。(21頁)

一個人が国家を、その根底からすべて変えたり、正しく建て直すために転覆したりして改造しようとすることは、まったく理に反しているし、さらに同様に、学問の全体系や、その教育のために学校で確立している秩序を改変しようとするのも理に反している(23頁)


公の大きな組織は、いったん倒されると債権は至難で〔中略〕習慣がそれらの欠点を大きく緩和してきたのは間違いない。〔中略〕これらの欠点はたいてい、その組織を変革するより我慢しやすい。(23-4頁)

世の中には、この範例にまったく適しない二種の精神の持ち主だけから成り立っているようである。第一は、自分を実際以上に有能だと信じて性急に自分の判断をくださずにはいられず、自分の思考すべてを秩序だてて導いていくだけの忍耐心を持ち得ない人たち。〔中略〕第二は、真と偽とを区別する能力が他の人より劣っていて、自分たちはその人たちに教えてもらえると判断するだけの理性と慎ましさがあり、もっとすぐれた意見を自らは探求しないで、むしろ、そうした他人の意見に従うことで満足してしまう人たちである。(25頁)


習慣や実例のほうが、どんな確実な知識よりもわたしたちを納得させているが、それにもかかわらず、少しでも発見しにくい真理については、ただ一人の人がそういう真理を見つけ出したというほうが、国中の人が見つけだしたというより、はるかに真らしいから、酸性の数が多いといっても何ひとつ価値ある証拠にはならない。こうしてわたしは、他の人よりもこの人の意見のほうを採るべきだと思われる人を選び出すことができずに、自分で自分を導いていかざるをえないことになっていた。(27頁)


国家は、ごくわずかの法律が遵守されるときのほうがずっとよく統治される。同じように、論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという堅い不変の決心をするなら、次の四つの規則で十分だと信じた。

 第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。〔中略〕第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。

 第三は、私の思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識まで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間さえも順序を想定して進むこと。

 そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。(28-9頁)