久繁哲之介『地域再生の罠――なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』ちくま新書、2010年

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 2010年7月10日(土)にジュンク堂書店京都店にて購入。同日読み始め、2010年7月12日(月)に読み終える。

 ざっと読み流すのにはよいし、ふむふむと頷けるところもそれなりにはある。だが本書の主張に(哲学的な意味での?)論証はまったくない。そういう意味ではわたしが「頷ける」というのも根拠なく頷いているのであって、直観によって頷いているのである。こうした直観、とりわけ著者の言う「土建工学者」や政府・自治体職員の直観(感覚)こそが本書によって批判されているのであって、そういう意味では本書によって説得されるところは本来何もない。というのも著者の根拠のない(論証のない)直観を信じるか、あるいは土建工学者や政府・自治体職員の直観を信じるかの問題でしかないからで、そのあいだの選択は自らの直観に頼らざるを得ないからである。

 本書は土建工学者らによる成功事例の模倣を批判するという体裁をとっていながら、著者自身が自ら成功と信じている事例の(表面的ではないと著者は言うかもしれないが)模倣を勧めているという点で実は自己矛盾している。同じように著者は政府・自治体職員が消費者の視点に立っていないことを批判しているが、171頁になってようやく「土建工学者」の用語説明をしている。この「土建工学者」という用語は著者による造語であると考えられ、ここまで用語の意味を説明せずに使い続けているのはお世辞にも消費者(読者)の視点に立っているとは言い難い。わたしが読書をしながらとった覚書には「土建工学者を目の敵のようにしているが、そもそも土建工学者って誰?」とある。

 さてそれで、辛口のコメントばかり書いたけど、それでもわたしはこの本を読んで大変参考になったし、人にも勧めて繰り返し読もうと思った。つまりわたしの直観には一致するところがある程度あったということである。

 土建工学者は人の心が分からないというのは、コミュニケーションデザインの問題だろうなあ。これは読み直しながら再び考えてみたい。基本的に(土建工学者)ではなく土建屋というのは暇だから政治をしたがるんだろうなあ。そうすると税金を湯水のごとく大量に無駄遣いして箱物を作り、結果的に首が回らない状態になる。ここらへん、政治のあり方を変えるのか、市民の意識を変えるのかしていかないといけないなあ。少なくとも自治体職員、土建屋の頭(意識)を最初に変えていくのは成功しないように思える。

 本書を読みながら改めて認識を強めたのは、イノベーションはやはりデザインするものだなということ。わたしはこれをイノベーションデザインと呼ぶことを提唱して行こうと考えている。