平田オリザ・蓮行『コミュニケーション力を引き出す――演劇ワークショップのすすめ』PHP新書、2009年

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 2010年6月26日に読み始めて2010年6月29日に読み終える。

 第二章がとくにおもしろかった。いろいろと勉強になるので繰り返し読んでみたい。

本文からの引用、コメントなど

 それに対して、私たち日本民族は、長い間、シマ国ムラ社会で生まれ育ってきましたから、そういうことは、声や形にして表すのは野暮だという文化を育んできました。[4頁]

 ここで「日本民族」というのはないだろう。

 受講者の方には、「いきなり『大きな声を出せ』とか言いませんから。いきなり『動け』とも言いませんから」と言って、安心してもらいます。[15頁]

私は、「演劇をやったからといって、コミュニケーション能力は向上しない」と公言しています。[15頁]

 演劇はコンテクスト、つまり文脈を摺り合せるための知恵、ノウハウを提供することができるのです。[19頁]

 平田のコミュニケーションをコンテクストから考える手法には概ね賛成である。

戦後の三重県・神島が舞台とされている、三島由紀夫の『潮騒』にも、この若衆宿は登場します。〔中略〕司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』でも、冒頭部分に若衆宿についての細かい記述が見られます。[22頁]

 三島由紀夫も司馬遼太郎も教養として読んでおきたいところだけど、思想的に抵抗があって優先順位が低いため、まだ一冊も読んだことがない。

 管理職養成のセミナーに行っても、参加者は大抵「今の若い人達は意見を言わない」とか、「新人が何を考えているのかわからない」といった愚痴をこぼします。でも先端的な企業ほど、会議のやり方などをいろいろ工夫しています。

 ダメな企業は、会議もダメで、さらに会議の「工夫の仕方」自体がダメです。「なんかアメリカでは立って会議をやるらしいよ」などと言って、みんな立って会議をやる。立って会議をするだけで意見がでてくるのならそれは楽だけど、そうはいきません。

 そうではなくて、立って会議もやれば、中間管理職を抜いた取締役と新入社員だけの会議とか、一対三ぐらいの会議、面接、焼鳥屋さんでのコミュニケーションなど、いろんなレンジを作っていくことが求められるのです。[27-8頁]

 例を出しましょう。よくPISA型調査の学力調査の例に、「落書き問題」というものが登場します。まず、「落書きをする人がいます、迷惑です」という投書がインターネットにあって、それに対して「落書きも芸術だ」といった反論が投稿される。さらに別の意見として、「ケバケバしい商業広告は、お金の力で設置されている落書きじゃないか」などという投書がなされる。これらの意見の対立について話し合わせるのです。

 そのときに、等質の文化や等質の価値観を持った人だけが集まったら、従来型の道徳教育のように「落書きはだめだ」「人の迷惑になることはだめだ」で終わってしまいます。そうではなくて、「異文化=フィクション」を持ち込むことが有効なのです。

 ですから大学院レベルだと、「では、落書きが肯定される場面とはどういう場面だろうか」と、院生達に考えてもらう。こういうテーマは小学生では無理なので、発達段階に応じたテキストが必要になります。また、中学生とか高校生ぐらいだったら、考えるヒントとして、いわゆる独裁国家で「落書きでしか表現できない国から来た人」という設定(フィクション)を一つ考えれば、議論が広がります。

 そういった異文化・異分子を、フィクションとして登場させることが大事なのです。これは演劇そのものをやらなくても、「演劇的な」工夫という、コミュニケーションデザインの方法の一つだともいえます。[32-3頁]

 ある電鉄会社の人と防災について話したときも、同じような結論になりました。「確かに、いくら防災訓練をやってもだめだ。もちろん、やらないよりはやったほうがいいんだけど、それよりも今の若い人達には、普通のコミュニケーション能力を高めて、安全に対する普通の感覚を持ってもらったほうがいい」。マニュアル通りの行動を促す防災訓練をいくらやっても、マニュアル以外のことが起きたときには全く動けなくなってしまいます。どんなに防災訓練をやっても、どんなに食品管理のマニュアルを徹底してもだめなのです。危機に対してどう動くかは、感覚的なものなのです。[45頁]

R行「皆さん、おはようございます。」

一同「おはようございます。」

 冒頭の挨拶は、本当に肝心である。多くの場合、R行は元気に挨拶したりしない。

 受講者達のコンディションを見定める前に元気に挨拶などしたら、受講者側が知らず知らずに壁を作り、彼らが「自分を出す」ということができなくなってしまう。演劇ワークショップは、受講者一人ひとりの潜在的なものが解放されないと意味がない。炊飯と同じで、「始めちょろちょろ中ぱっぱ」とやらないと、おいしく炊きあがらないのだ。[53頁]

 これは、一般的な社員研修などでも、やったことがある方がいらっしゃるかもしれません。いわゆる「yes and」で話をつないでいく、という対話のゲームです。

 特に日本人は「いや、でも」という「否定、逆説」で会話をする傾向が強いといわれています。このゲームでは、相手が何を言い出しても、まずは「いいですね~。」と肯定をしておいて、さらに情報を付け足していく、という単純なルールで進みます。

 否定と逆説の言葉は、禁句です。全グループに、同じお題を与えて始めますが、さて一定時間でどこが一番話が膨らんだか、を競うゲームになっています。

〔実践例は割愛するが、とても面白いので本書を買ってぜひ読んでみていただきたい〕

 と、こんな感じで進んでいきます。やってみると、いかに普段から口癖のように、否定や逆説の言葉を使っているか、ということに気付かされます。それと同時に、このような気楽なゲームでの対話でさえ、自由な発想にブレーキをかけていることに気付きます。[178-9頁]

 この「yes and」で話をつなげていく対話ゲームの原型は、Patricia Ryan Madson, Wisdom: Don't Prepare, Just Show Up, Harmony / Bell Tower, 2005.のようだ。