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マイケル・J・サンデル(林芳紀、伊吹友秀訳)『完全な人間を目指さなくてもよい理由――遺伝子操作とエンハンスメントの倫理』ナカニシヤ出版、2010年


完全な人間を目指さなくてもよい理由-遺伝子操作とエンハンスメントの倫理-

著者/訳者:マイケル・J・サンデル

出版社:ナカニシヤ出版( 2010-10-12 )

単行本 ( 184 ページ )


 2010年12月28日(火)に阪大生協書籍部豊中店で10%オフにて購入し、翌29日に読み始め、30日に読み終える。

 訳文が自然な日本語で読みやすく、「訳者あとがき」にもあるように訳者の苦労が目に浮かぶ。また「訳者解題」ではサンデルの立場やエンハンスメントに関連する議論が必要最小限でコンパクトにまとめられており、一般の読者にとってもわたしのような勉強不足の者にとってもたいへんありがたい。ただ、新書の3分の2程度の分量ながら1,890円は少々高い。ナカニシヤ出版さん、そんな売れない本でもないだろうし(じっさい売れているみたいだし)、もう少し価格を安く設定してください、と言いたいところ。

 121頁にある「ヒト」「人間の生命」「人間」「人格」あたりの区別がわかりづらくて混乱した。

追記20110107

 翻訳121頁のわかりづらかった箇所について、原書を参照してみた。

…この道徳的地位同等論も以下の二つの側面では妥当性を有していることを、あらかじめ確認しておきたい。第一に、この立場では、人格の不可侵性をまったく顧慮することもなく費用便益の比較衡量をおこなう功利主義的な見解は、正当にも否定されている。第二に、少なくとも胚盤胞は死んでいるのではなく生きており、ウシなどの生き物とは違ってヒトであるという明らかな意味において、胚盤胞が「人間の生命」であることは否定できない。だが、こうした生物学的な事実から、胚盤胞は人間であるとか人格であるといった結論が導き出されるわけではない。いかなる生きたヒト細胞(例えば、皮膚細胞など)も、ウシではなくヒトであるとか、死んでいるのではなく生きているという意味では、紛れもなく「人間の生命」である。しかし、だからといって、誰一人として皮膚細胞は人格であるなどと考えたり、それに不可侵性を認めたりはしないだろう。胚盤胞が人間や人格であるということを示すためには、さらなる論証が必要なのである。(マイケル・J・サンデル(林芳紀、伊吹友秀訳)『完全な人間を目指さなくてもよい理由――遺伝子操作とエンハンスメントの倫理』ナカニシヤ出版、2010年
、121頁)

…I want to acknowledge the validity of two aspects of the equal-moral-status position. First, it rightly rejects the utilitarian view of morality, which weighs costs and benefits without regard for the inviolability of persons. Second, it is undeniable that the blastocyst is “human life,” at least in the obvious sense that it is living rather than dead, and human rather than, say, bovine. But it does not follow from this biological fact that the blastocyst is a human being, or a person. Any living human cell (a skin cell, for example) is “human life” in the sense of being human rather than bovine and living rather than dead. But no one would consider a skin cell a person, or deem it inviolable. Showing that a blastocyst is a human being, or a person, requires further argument. (Sandel Michael, The Case against Perfection: Ethics in the Age of Genetic Engineering, Belknap Press of Harvard University Press, 2007, p. 115.)

 予想していた通りだけど、問題は”human life”の訳。これが「人間の生命」ではなく「ヒトの生命」と訳されていたら混乱しなかったように思う。とくにサンデルは生物学的な意味でのヒトという以上に人格を認められるような主体としての人間について言及するときには、(少なくともここでは)”human”ではなく”human being”と表現している(ような気がする)。「ヒト細胞(human cell)」や「ウシではなくヒト(human rather than bovine)」のように”human life”は「ヒトの生命」と訳した方がいいような気がする。