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キケロー(中務哲郎訳)『老年について』岩波文庫、2004年のソースを表示
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キケロー(中務哲郎訳)『老年について』岩波文庫、2004年
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[[Category:読書記録]] 2010年5月12日(水)に読み終える。 ==本文からの引用、コメントなど== <blockquote> 自然に従って起こることは全て善きことの中に数えられる。とすると、老人が死ぬことほど自然なことがあろうか。同じことが青年の場合には、自然が逆らい抵抗するにもかかわらず起こるのである。だからわしには、青年が死ぬのは<ruby><rb>熾</rb><rp>(</rp><rt>さか</rt><rp>)</rp></ruby>んな炎が多量の水で鎮められるようなもの、一方老人が死ぬのは、燃え尽きた火が何の力を加えずともひとりでに消えていくようなもの、と思えるのだ。果物でも、未熟だと力ずくで木から<ruby><rb>捥</rb><rp>(</rp><rt>も</rt><rp>)</rp></ruby>ぎ離されるが、よく熟れていれば自ら落ちるように、命もまた、青年からは力ずくで奪われ、老人からは成熟の結果として取り去られるのだ。この成熟ということこそわたしにはこよなく喜ばしいので、死に近づけば近づくほど、いわば陸地を認めて、長い航海の果てについに港に入ろうとするかのように思われるのだ。 [上掲書、66-7頁] </blockquote> <blockquote> 賢者ソローンともあろう人に、自分の死が友人たちの悲しみと嘆きで飾られないのは嫌だ、とする短詩がある。思うに、身内の人々にとって自分が大事な人でありたいと望んでいるに違いない。しかし、エンニウスの方が良いことを言っていると思いたい。 </blockquote> <blockquote> : 誰もわたしを涙で飾ってくれるな、葬いも<br /> : 泣きながらはやめてくれ。 </blockquote> <blockquote> 後には不死なる生が続くのだから、死を嘆くべきものとは考えていないのだ。 </blockquote> <blockquote> さらに、何か死ぬ感覚のようなものがあるかも知れないが、あっても特に老人にとっては短いもの。死後の感覚は待ち望むべきものであるか、あるいはまったく存在しないかだ。しかし、死をものともせぬよう若い時から練習しておかなければならない。その練習がないと<ruby><rb>何人</rb><rp>(</rp><rt>なんぴと</rt><rp>)</rp></ruby>も平静な心ではいられない。死なねばならぬことは確実だが、それが今日この日かどうかは不確実なのだからな。したがって、四六時中差し迫る死を恐れていたのでは、どうして心をしっかりと保つことができようか。 [上掲書、68-9頁] </blockquote> <blockquote> 少なくともわしの見るところでは間違いなく、全ての仕事に満ち足りることが人生に満ち足りることになる。少年期には少年期の仕事がちゃんとあるが、だからといって青年がそれを愛惜するだろうか。青年期の入口にある仕事を、中年と呼ばれるすでに安定した世代が追い求めるだろうか。中年期にももちろん仕事があるが、老年になってそれが欲しがられたりはしない。そして老年にはいわば最後の仕事がある。それ故、前の各年代の仕事が消えていくように、老年の仕事も消えてなくなるのだ。そしてそうなった時には、人生に満ち足りて死の時が熟するのである。 [上掲書、70頁] </blockquote>
キケロー(中務哲郎訳)『老年について』岩波文庫、2004年
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