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シジウィック『倫理学の諸方法』への緒言
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[[Category:シジウィック『倫理学の諸方法』(1907年)]] 18世紀の中ごろ以来、英語圏の道徳哲学の伝統では最も有力で体系的な道徳学説は、何らかの形で功利主義であった。これに対する理由の一つは、この伝統に属する本当にすばらしい著述家たちの長い系譜が、理解のしやすさ、および発展と改善の可能性において印象的な思想の本体を作り上げたことにある。わたしたちは、ヒューム、アダム・スミス、ベンサム、およびJ.S.ミルが一級の政治理論家であり、社会理論家であり、そしてまた経済学者であったことをあまりにも容易に忘れがちである。彼らは自分たちが考え出した道徳学説を、もっと広い見解の一部として常に見ていたのである。 功利主義の伝統において、ヘンリー・シジウィック(1838-1900)は重要な位置を占めている。シジウィックの重要な著作である『倫理学の諸方法』(第1版1874年、第7版1907年は最後の版で、ここに再版されている)は、わたしたちが「古典的功利主義学説」と呼ぶものについての、最も明確で最も利用しやすい形態である。この古典的学説によれば、社会的・個人的行為の究極的な道徳的目的は、あらゆる感覚的存在者の幸福の最大の総和である。幸福は(正または負として)苦に勝る快の正味残高(net balance)によって定まる。シジウィックが好んで言うのには、不快な意識に勝る快い意識の正味残高によって定まる。シジウィックの時代には、ちょうど概略を示したような古典的学説は、ベンサムの諸著作やそれらの著作が広範に影響を及ぼした後の著作家たちから永く親しまれてきた。『倫理学の諸方法』がとても重要なのは、他の古典的著者たち以上にシジウィックがこの学説の直面する多くの困難に気づいていたからであり、それらの困難を一貫し完全な方法で扱おうとする一方で、例えばミルがそうであったように、厳密な学説(the strict doctrine)から決して逸脱していないからである。したがって、シジウィックの本は、厳密に古典的な著作のうちで、最も哲学的に深みがあり、その時代の伝統を終わらせると言われるかもしれない。 『倫理学の諸方法』はもう一つの理由で重要である。これは、道徳的概念の体系的な比較研究を行うことを引き受けた道徳哲学における本当に学術的な最初の著作であり、歴史的にも現在の評価によっても最も重要な道徳的概念から始めている。シジウィックがこの研究を引き受けたのは、彼が引きつけられた古典的学説(そして、実際にはその他のあらゆる道徳的概念)の理由に基づいた(reasoned)満足のいく正当化は、他の仕方ではできないだろうと考えたからであった。そして、そうした正当化をしようと彼は望んだのであった。この目的のために、シジウィックはあらゆる主要な道徳的概念を三つの概念に還元する。すなわち、利己主義的快楽主義、直観主義、および普遍主義的快楽主義(古典的学説)の三つである。第1部で倫理学の主題とその境界について記述した後、続く三つの部門では、これら三つの概念について上に挙げた順に取り上げられる。ただし、第3部の終わりまでに普遍的快楽主義<ref group="訳注">原文はuniversal hedonism「普遍的快楽主義」となっているが、シジウィックはuniversalistic hedonism「普遍主義的快楽主義」という表現を使っている。</ref>は説明され、直観主義より優れたものとして論じられる。直観主義に対する普遍主義的快楽主義の体系的正当化は第4部でなされる。わたしたちは、シジウィックが続けて普遍主義的快楽主義は利己主義的快楽主義より優れたものでもあると論じるよう期待する。なぜなら、シジウィックの哲学的・道徳的共感が前者にあることは、はっきりしているからだ。だが、シジウィックはそのように論じることができないことに気づいている。シジウィックは、快楽主義の形式はいずれも、彼が非常に注意深く形作った理由に基づいた正当化の基準を等しく満たすと信じている。シジウィックは落胆し、わたしたちの実践理性が分裂しているようだと結論づける。シジウィックはこの分裂が解決されるのかどうか、またどのように解決されるのかということを、倫理学の作業ではなく、真偽の信念についての基準の一般的検討をわたしたちが行った後にのみ取り上げられるべき問題として残している。 シジウィックの独自性は、道徳哲学についての彼の概念と、いかなる特定の道徳的概念についての筋の通った満足のいく正当化も、哲学的伝統における比較的重要な道徳的概念についての完全な知識と体系的な比較から生じるのでなければならないという方法とにある。『倫理学の諸方法』は基本文献だ。なぜなら、道徳哲学のこの概念を必要な詳細についての確実な支配と完全な指揮でもって発展させ表現しているからである。古典的学説――これは、わたしたちの時代の道徳哲学にとってもなお、たいへん重要なものであるが――について正確に理解した上で評価するためには、シジウィックの論文<ref group="原注">シジウィックの倫理学の二次文献にあたりたい人にとっては、J.B.シュニーウィンドの『シジウィックの倫理学とビクトリア朝の道徳哲学』(オックスフォード、1977年)を特に薦める。これは、シジウィックの学説について包括的に論じており、シジウィックの学説を英国道徳哲学の歴史の中で位置づけている。</ref>を注意深く研究することから始めるのが最善の道かもしれない。 1981年9月 ジョン・ロールズ ===原注=== <references group="原注" /> ===訳注=== <references group="訳注" />
シジウィック『倫理学の諸方法』への緒言
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