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ホッブス(1588-1679)
- 唯物論者→『リヴァイアサン』の冒頭で宣言
- 対象の質で私たちの感覚に相当するのは運動
- 唯名論者
- 「努力」は運動の小さい始まり。何かに向かう場合にそれは欲望となり、遠ざかろうとする場合には嫌悪となる。愛と欲望は等しく、憎しみと嫌悪も等しい。
- あるものが欲望の対象であるとき「善」と呼ばれ、嫌悪の対象であるときに「悪」と呼ばれる→善悪について相対主義
- 自由意志を否定→決定論者
- 反乱を起こす権利を否定
- 契約によって出来上がるものをcommonwealth(国家)と呼んでいる。
- 自由とは運動に対して外部的な妨害がないこと→自由と必然性は両立可能。
- 主権者に対する自己防衛のための抵抗だけは許される。
- 自分を保護する力を持たない主権者に対しては何らの義務も持たない。→チャールズ二世が亡命しているときにクロムウェルに屈服したホッブスの自己正当化。
> 主権者が専制的となりうることは認めているが、もっともひどい専制政治でも無政府状態よりはましであり、さらに多くの点で主権者の利害は、臣民の利害と一致するという。臣民たちがより裕福になれば主権者も豊かになり、臣民たちが法律を守れば主権者はより安全となる、等々とホッブスは説明する。反乱いけないのは、それが失敗するのが通例だからであり、また成功したとしても、それは悪例を残して他のひとびとに反乱するように教えるからだという。 RIGHT:バートランド・ラッセル著、市井三郎訳『西洋哲学史 3』(みすず書房、1970年)545頁上段