小田兼三・竹内孝仁編『医療福祉学の理論(医療福祉シリーズ1)』中央法規、1997年

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本文からの引用、コメントなど

第1編 医療福祉の歴史と原理

第1章 医療と福祉の接点――その原理的考察――(中園康夫)

 S.レイモンが編集した『コミュニティケアを超えて』には、専門職者のあり方がノーマリゼーション原理に照らして論じられている。その主旨は、ノーマリゼーション原理による専門職者とクライエントとの関係は権威的関係ではなく、クライエントがサービスを受ける主体者として認識されることの重要性が指摘されている(クライエントということばには、もともとこうした含意がある)。この意味で、専門職者とクライエントとの関係は相互主体的である。この関係はノーマリゼーション原理が医療や福祉の分野に影響をもつにつれて、ますます明確になっていくであろう。例えば、ターミナルケアにおける専門職者は、自分自身が有限な人生を生きる者であり、死を引き寄せる存在者であることを、病む人と共に共有することによって関係をもつことが可能となり、病む人の死を深く理解し、受容することが可能となる。この関係は共存在としての関係でもある。このような態度による関係が、病む者のいまそこでの存在を人間的にならしめ、尊厳をもってかかわることになるのである。ターミナルケアにおいては、キュア(治療)がケアとなるのである。治療の過程におけるケアの含意は、医療と福祉が重なり合うところでもある。(上掲書、8頁)

 目に留まったのは最後の2文だけ。ただしそこだけ引用しても意味不明なので段落ごと引用する形になった。私は医療と福祉が重なり合うという立場を支持するものの、ここで書かれているような理由で重なり合うというのであれば、その理由については支持できない。「共有する」「共存在」「存在を人間的にならしめ、尊厳をもってかかわる」というのは聞こえはいいが、中身がない。