倫理学の論文の読者――これは功利主義者に当てはまるし直観主義者にも同様に当てはまる(the remark applies to Utilitarian and Intuitional moralists alike)――は、それらの論文の著者が第一原理として提示する命題の論じ方に当惑しなければならないことがよくあると考えざるをえない。こうした著者たちは、第一原理が証明できないようなものだと宣言することから始め、少なくともしっかりした教育を受けていない人にとってはそうした原理を証明しようとすることとほとんど区別できないことをするのにすぐ移行するのである。実際、このことが明らかに整合的でないというのは簡単に説明できる。すべての人にとって、あるいはほぼすべての人にとって、倫理学のにせの(soi-disant)第一原理は、少なくともそれなりの(respectable)少数者たちによって、第一原理であるということが否定されている。したがって、わたしたちが当然のこととして道徳学者に期待することは、彼の第一原理を提唱することだけではなく、合理的に受け入れやすいようにその第一原理をわたしたちに与えてくれることである。