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20121014シネマ哲学カフェ『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』の感想

 今日はシネマ哲学カフェで哲学カフェについて考えさせれられることがあったので、忘れないうちに書き残しておく。ツイッターをやりはじめてからほとんどブログに投稿しなくなったけど、やはり一定の分量を書くときや頭の中で整理できていないものをごちゃっと書くのには(私には)ブログの方がいいのではないだろうかと思い、今回はブログで記事を書くことにした。

 今日観たのは津村公博・中村真夕(監督)『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』というドキュメンタリー映画。内容についてはこの記事の趣旨から外れるのであえて書かないでおく。そんなに要約もうまくないし。

 今日の参加者は監督の中村さんを含めて10人。シネマ哲学カフェの人数としてはだいたいこんなものである。以前はもっと少なかったけど、中川さんに私が加わって1年ぶりに再開してからはだいたい10名前後で安定している。ツイッターで告知をすると、シネ・ヌーヴォ、映画の公式アカウント、それから監督のアカウントあたりからリツイートされるので、私がツイッターで告知をするようになったことも影響しているのかもしれない(「それでも10人か」という声が聞こえてきそうであるが、ミニシアターで上映される映画を題材にしているので、鑑賞者の人数からすればけっこうな割合になるはずである)。また、このことと今回の記事は関係している。

 ここ最近のシネマ哲学カフェの特徴の一つに、製作者、あるいはその関係者が参加されるということがある。7月29日に岩佐寿弥・監督の『オロ』でシネマ哲学カフェをやったときには、監督の姪の方が参加してくださった。関係者が参加してくれることは光栄なことであり歓迎している。シネマ哲学カフェをやるときには、参加者が映画を観て感じたこと考えたことなど映画について語っている声が製作者に届けられればなと思ったりもする。ところが、製作者が哲学カフェに参加すると参加者の関係性が水平でなくなってしまうというのも経験的に明らかになってきたことである。ここらへんをどうすればよいのかというのが、今回のシネマ哲学カフェで考えさせられた問題である。

 私は究極的には参加者が満足すれば哲学カフェとしては成功だと思っている。すべての場合においてそうかと問われれば考え込んでしまうだろうから、やはり私の頭の中には参加者の満足だけではいけない哲学カフェの最低限の境界線があるのだろうが、ともかく参加者が満足するかどうかは重要な要素だと考えている。逆に参加者が不満足だったら哲学カフェではなくなるのかというとそうでもないと思っているから、私の哲学カフェの理解における参加者の満足という要素は、必要条件ぐらいのものなんだろう。実際には上にも書いたとおり必要条件ですらないはずなんだが、まあ「必要条件ぐらい」ということにしておく。

 だから参加者同士の関係が水平でなかったとしても即座に哲学カフェでなくなるとは考えていないし、そもそも参加者同士の関係が完全に水平になるとも思っていない。ところが、司会と参加者の会話に終始するとか、話題提供者と参加者の質疑応答に終始するとかいった場合には、それが哲学カフェとして成り立っているのかどうか疑わしくなってくる。程度問題になってくるが、講演会やセミナーやトークショーと哲学カフェの線引をするとしたら、どこでするべきなのだろうかということになってくる。

 私が「必要条件ぐらい」として哲学カフェの条件に参加者の満足度を挙げたのは、その場に参加した参加者が納得した上で誰かの話を中心に聞きたいということになるのであれば、司会者や話題提供者と参加者との会話が中心になったとしても、それは哲学カフェとして成り立つのではないかという私の信念によるものである。言い方を変えると、哲学カフェは参加者がつくるものであるという信念である。だから、今日のシネマ哲学カフェであれ7月のシネマ哲学カフェであれ、いちおう上記のようなことをざっと説明した上で、参加者は納得して関係者に質問をしていたし結果的に満足もしていたようだから、それはそれで哲学カフェとしては成り立っていたのだと思う。ただ、もう少し私の考える哲学カフェについて丁寧に説明してもいいかもしれないし、上で書いたように、せっかく製作者に参加してもらえるのであれば他の場所でも経験できる質疑応答のようなものではなく、鑑賞者の率直な意見、鑑賞者同士の対話を見てもらいたいという思いもあるので、関係者に参加してもらいつつもできるだけ関係者がいないときと同じようなカフェになるような工夫をしていきたい。

 ご本人(あるいは関係者)がご覧になることがあるかもしれないのでもう一度はっきり書いておくが、7月や今回のシネマ哲学カフェは参加者も満足していたようだったし、そういう意味では私もいい哲学カフェだったと思っている。これからやる哲学カフェでも関係者の参加はウェルカムである。

 「哲学カフェって何?」という人のために、書きかけだけど参考までに。

買った本20110623

 amazon.co.jpで科研費の立替払いで本を5冊購入。

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Dave Gray, Sunni Brown, James Macanufo, Gamestorming: A Playbook for Innovators, Rulebreakers, and Changemakers, Oreilly & Associates Inc, 2010.

 ワークショップについての勉強用に。


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Bernard Mandeville, The Fable of the Bees: Or Private Vices, Publick Benefits, Penguin Classics, 1989.

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John Rawls (Samuel Freeman ed.), Lectures on the History of Political PhilosophyBelknap Press of Harvard U. P., 2008.

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John Rawls (Barbara Herman ed.), Lectures on the History of Moral Philosophy, Harvard U. P., 2000.

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[Audio book] Michael J. Sandel, Justice: What’s the Right Thing to Do?, MacMillan Audio, 2009.

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2011年1月1日(土)の日記

 (昨年につづき)Thank you for all you did for me in the past year.

 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 思うところあって今年は十数年ぶりに年賀状を書いている。とりあえず今年は2、3枚出す予定。

 今年の抱負を考えてみた。

2011年の抱負

  • 本を50冊以上通読すること
  • お酒を控えること
  • とにかく論文を書くこと
  • 無駄なものを捨てること
  • お金を節約すること

 あえて抱負には書かないけど、映画は36本以上観たい。また演劇はせめて4回は劇場で観劇したい。美術館・博物館・ギャラリーへ行く回数は特に考えないことにする。もうひとつ、これもあえて抱負(に書くようなものでもないし、書いたところでどうこうなるものではないから)書かないけど、今年はがんばって(というか積極的に)パートナーを見つけようと思う。

2010年12月31日(金)の日記

 大晦日なので今年を振り返っておこう。

 今年一年で観た映画は32本(複数回観たものもあるため重複あり)、通読した本は26冊であった。恥ずかしいけど隠しても仕方がないので自戒の意味も込めて一覧表にしておく。

今年観た映画

  • 20100101『アバター(デジタル3D版)』
  • 20100109『動くな、死ね、甦れ!』
  • 20100313『イン・ザ・プール』
  • 20100314『パコと魔法の絵本』
  • 20100314『オリエント急行殺人事件』
  • 20100418『ウィニングチケット―遙かなるブダペスト―』
  • 20100418『マトリックス』
  • 20100501『シャッターアイランド』
  • 20100502『マトリックス リローデッド』
  • 20100503『マトリックス レボリューションズ』
  • 20100503『アリス・イン・ワンダーランド(3D版)』
  • 20100504『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
  • 20100610『告白』
  • 20100620『ダイアナの選択』
  • 20100623『ナイト ミュージアム』
  • 20100625『バベル』
  • 20100625『ナイトミュージアム2』
  • 20100625『キル・ビル Vol. 1』
  • 20100627『キル・ビル Vol. 2』
  • 20100630『ブタがいた教室』
  • 20100703『The Cove』
  • 20100727『インセプション』
  • 20100807『ひぐらしのなく頃に』
  • 20100807『ハッピーフライト』
  • 20101031『サベイランス』
  • 20101031『月に囚われた男』
  • 20101101『ノウイング』
  • 20101103『ヤノマミ~奥アマゾン・原初の森に生きる~(劇場版)』
  • 20101204『シェルター』
  • 20101204『レポゼッション・メン』
  • 20101205『実験室KR-13』
  • 20101217『インセプション』

今年通読した本

  • 20100122香山リカ『うつで困ったときに開く本』朝日新書、2009年
  • 20100408夏目達也・近田政博・中井俊樹・齋藤芳子『大学教員準備講座』玉川大学出版部、2010年
  • 20100422ルイス・キャロル(矢川澄子訳、金子國義絵)『不思議の国のアリス』新潮文庫、1994年
  • 20100511カント(中山元訳)『純粋理性批判 1』光文社古典新訳文庫、2010年
  • 20100512キケロー(中務哲郎訳)『老年について』岩波文庫、2004年
  • 20100513中井大介『功利主義と経済学――シジウィックの実践哲学の射程――』晃洋書房、2009年
  • 20100620東京大学i.school編『東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた』早川書房、2010年
  • 20100622森見登美彦『太陽の塔』新潮文庫、2006年
  • 20100629平田オリザ・蓮行『コミュニケーション力を引き出す――演劇ワークショップのすすめ』PHP新書、2009年
  • 20100712久繁哲之介『地域再生の罠――なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』ちくま新書、2010年
  • 20100712平田オリザ『演劇入門』講談社現代新書、1998年
  • 20100714ティナ・シーリグ(高遠裕子訳、三ツ松新解説)『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学 集中講義』阪急コミュニケーションズ、2010年
  • 20100730山田雅夫『図解力の基本――ちょっとしたコツだけど、だれも教えてくれない88のテクニック』日本実業出版社、2010年
  • 20100801前川孝雄『勉強会に1万円払うなら、上司と3回飲みなさい』光文社新書、2010年
  • 20100801奥村倫弘『ヤフー・トピックスの作り方』光文社新書、2010年
  • 20100808小林啓倫『AR―拡張現実』マイコミ新書、2010年
  • 20100811梶原しげる『即答するバカ』新潮新書、2010年
  • 20100811大久保幸夫『キャリアデザイン入門I 基礎力編』日経文庫、2006年
  • 20100813大久保幸夫『キャリアデザイン入門II 専門力編』日経文庫、2006年
  • 20100928水月昭道『ホームレス博士――派遣村・ブラック企業化する大学院』光文社新書、2010年
  • 20101006柘植尚則『プレップ倫理学』弘文堂、2010年
  • 20101010平川秀幸『科学は誰のものか――社会の側から問い直す』NHK出版生活人新書、2010年
  • 20101124川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書、2010年
  • 20101127小寺信良『USTREAMがメディアを変える』ちくま新書、2010年
  • 20101230マイケル・J・サンデル(林芳紀、伊吹友秀訳)『完全な人間を目指さなくてもよい理由――遺伝子操作とエンハンスメントの倫理』ナカニシヤ出版、2010年
  • 20101231美馬達哉『脳のエシックス――脳神経倫理学入門』人文書院、2010年

 郵便年賀.jpで「今年の一文字」を改めてやってみた。結果は次の通り。1位「大」(296回)、2位「学」(285回)、3位「飲」(250回)、4位「行」(228回)、5位「時」(222回)、6位「本」(220回)、7位「阪」(202回)、8位「会」(200回)、9位「間」(199回)、10位「帰」(199回)。

 以下、今年の日記から一年を振り返ってみる。

1月

 元旦の日記には「今年は語学をしっかりやろう。特に英会話は実用的なレベルまで伸ばしたい」と抱負らしきものを書いてある。ある程度語学には力を入れてきたけど、英会話が(わたしの想定する)実用的なレベルに達したかというと、まだまだまったく使い物にならないレベルにとどまっている。

 日記を読む限り今年は年初からけっこう活発に活動していたようだ。あわただしくしているあいだに誕生日が過ぎ去ってしまったと記してあるのも、たしかにそうだったと思いだされる。それから1月の後半にはストレスがだいぶたまっていたなあ。このストレスが年初のあわただしさからくるものだとすれば、来年度以降はそのことを意識してストレスコントロールできるよう努めたい。

2月

 2月に入るとシラバスの執筆についての記述が見られる。2月4日の記述にあるとおり「前期と後期で各2コマずつ計60回分の講義内容を考えるというのは思った以上に大変」だった。じっさいどこまでシラバスどおりに講義ができたのかという問題もあり、シラバスと講義の両面から反省して来年度以降に活かしたい。

 2月の後半からツイートの割合が増えていったようだ。2月末には奨学金の返還免除申請書を準備している。こちらは5月末に半額免除の通知をいただいた。多謝。2月末のもうひとつの大きな出来事は新しい部屋を探していること。

3月

 あっという間に3月になり、引越でばたばたしている。3月にはほとんどの記録がツイートによるものになっている。月始めにはWorld Wide Views in Japanの結果報告シンポジウムで東京に出かけている。このころは研究室の謝恩会の幹事を引き受けて走り回っていたようだ。幹事力というのも世知辛い世の中で生き残っていくために必要な能力の一つなのかもしれないけど、できればなくて済ませたいところ。

 3月末には熊本で開かれていた第6回九州山口地区臨床倫理集中講座に参加している。これに感銘を受けてのちに9月にも鹿児島で開かれた第7回九州山口地区臨床倫理集中講座に参加している。

4月

 4月から大学は新年度を迎え、学振の特別研究員と某大学の非常勤講師として「気持ちを引き締めて」いこうとしている。実際にはどうだろう。それほど気が引き締まっていた自信はない、残念ながら。

 4月3日に弟の結婚式に出席するため帰省している。このときもそうだったけど、今年は飛行機に何度も乗り損ねそうになっている。来年はそうならないように気をつけよう。

 4月4日のツイートには「親の子に対する愛と子の親に対する愛は同等かといったようなテーマで一度哲学カフェをやってみたい」と書いてある。どうしてこんなことを思ったのかいまとなっては思い出せないけど、少なくともこれを書いたときにはそう思っていたんだろう。これに続けて「哲学カフェが臨床哲学のいう現場かどうかはともかくとして、仮に現場だとしてもその現場に臨場するのは必ずしも進行役だけではないはずなんだよなあ。どうも周りを見ていると進行役をやってこそ臨床哲学を実践しているかのような風潮があるけど、そうした考え方こそ啓蒙主義的であり自己矛盾的だよなあ」とも書いてある。まあ、あれこれ臨床哲学のことについて考えていたのだろう。

 4月中旬に某中東系テレビ局から日本の捕鯨について番組を制作するのでインタビューに協力してほしいというメイルを受け取っている。しばらく経ってから返信をしたのでわたしの返信に気づかなかったという理由で(少なくとも向こうはそう言っていた)インタビューには来なかったけど、のちに番組ができたということでYouTubeのアドレスを送ってきてくれた。

 4月下旬には北大で開かれていた応用哲学会第2回年次研究大会でポスター発表している。ポスターが出来上がらないまま北海道へ行く日を迎えてばたばたしていたんだよなあ。ポスター発表というのも初めてだったので、いい経験になった。

 マンションでボヤがあったのは4月末だったか。堺シティマラソン(10km)に参加したのも4月末だったか。結局、それっきりまったく走っていない。

5月

 5月初旬には風邪を引いている。中旬に大分大学で開かれていた日本哲学会の年次大会に参加。下旬にはメディカル・カフェ「痛みの表現と伝え方」 の進行役をしている。

6月

 6月初旬に博士予備論文を提出。あまり思い出したくない。

 博士後期課程で借りていた日本学生支援機構の第一種奨学金の返済が半額免除されるという通知を6月下旬に受けている。改めて多謝。

 6月は映画をたくさん観て本もたくさん読んだようである。

7月

 バイオEXPOに参加するため7月上旬に東京出張。初めて東京ビッグサイトに行った。7月3日には話題になった映画”The Cove”を第七藝術劇場で観いている。来年の2月にDVDが出るようだ。

 Dropboxを使い始めたり、b-mobile WiFiルーターを買ってb-mobile SIM U300を使い始めたり。

 7月13日の記述に「自伝的文章を公表するのは、哲学(研究)者であれば引退して引退して〔ママ〕一息ついた頃、実業家であれば引退する前のまだ脂がのっている頃がいいのかもしれない」というのがある。

 7月19日は鷹取教会の方々とバスハイクに行っている。香住鶴(かすみがつる)の酒蔵に行ったり、撤去される前の余部鉄橋を見たり、有馬温泉に行ったり。どれも初めてだったけど、有馬温泉に行けたのはとてもよかった。

 クレジットカードを紛失したのも7月だったか。結果的には再発行してもらうことになったけど、悪用されなかったのは不幸中の幸い。

 7月下旬ごろからPicasaウェブアルバムを使い始めたようだ。これがおもな理由でのちにグーグルの有料サービス(容量アップ)を利用するようになった。

8月

 8月13日に鞍馬山に登りに行っているが、これはよく覚えている。その翌日に予約していたiPhone4を受け取って、その足で帰省の途に就いたのであった。8月15日の記録には「いつか大畠駅で降りてみたい」とあるので、いつか大畠駅で降りてみよう。たぶん海沿いの景色がきれいだと思ってそう書いたのだろう。8月19日にはふらっと源じいの森温泉に行っている。なつかしい。

 8月24日に映画監督の今敏さんが亡くなっている。彼が監督した作品はけっこう好きだったので残念。8月下旬にまた東京出張。今年はよく東京に行った。8月31日には吹田キャンパスであった某クローズドなワークショップで英語で発表している。準備でだいぶ神経をすり減らしたけど、まあいい経験になった。

9月

 9月2日の記述「DeCoCiSでやっている論点抽出カフェや統合的p(TA)会議のようなものを「冤罪を生まないための社会制度」あるいは「司法制度のあり方一般」みたいなことについてやれば、DeCoCiSでやっているテーマよりも結構いい線行くんじゃないだろうか。もちろんDeCoCiSではできないけど」はほんとうにいつかやりたい。

 9月上旬にっふらっと福井旅行。敦賀駅で食べたおぼろそばはうまかったなあ。

 9月中旬に鹿児島で開かれた第7回九州山口地区臨床倫理集中講座に参加。いろいろな方とお話ができてよかった。9月下旬頃からプライベートな話題は表向きのツイッターアカウントではつぶなかないように。

10月

 チェコ語を習い始めたのは10月だったか。チェコ語を教えてくれていた人とは3ヶ月間いろいろな話ができて本当によかった。

 10月上旬に日本倫理学会に参加するために東京出張。発表もしないのによくいろんな学会に参加したものである。10月11日に青年団の演劇を初めて観劇。13日には中之島哲学コレージュで哲学カフェ「クジラを食べてもよいか?」の進行役を務めている。

 10月中旬に日本医学哲学・倫理学会に参加するため初めて東北(岩手県盛岡市)へ。このころ論文を一つ投稿している。年明けぐらいに出るのだろうか。

11月

 11月の中旬ごろだろうか、このころになるとプライベートなつぶやきがかなり影を潜めているので正確に跡を辿れないのだが、痔の手術をしてしばらく苦しんでいた。11月末に大阪府立大学で開かれていた日本科学哲学会のシンポジウム「ロボット工学と哲学――学際融合研究での科学哲学の役割」に出席している。

12月

 12月2日のつぶやきは興味深い。

今日判決のあった二つの殺人事件。不倫をバラされることを恐れて交際相手を殺害した米原女性殺害事件は無期懲役の求刑に対し罪を認めていないのに懲役17年の判決。他方、弁護側も検察側も心神耗弱であることを認めていた中大教授殺害事件は、本人も罪を認めているけど求刑20年に対して懲役18年。

米原の事件は物証がない上に被告人が捜査段階から一貫して無実を主張しているという裁判だが、裁判所は「被告の供述は不自然・不合理で信用できない」とした以上、被告人が罪を認めないのは反省していないことだと同時に認めなければならないはずなのだが、この二つの量刑の公正さはどう理解すべきか。

 12月22日には中之島哲学コレージュのセミナー「社会人基礎力とは?」の進行役を務めている。

 12月は概して年末の雑用や一年の振り返りなどであっという間に過ぎ去った月であった(といっても、まだ月が変わり年が変わるまでには40分近くあるが)。

 さすがに疲れた。

 それではみなさん、今年はお世話になりました。来年も良い年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

2010年6月30日(水)の日記

 ブログ、ツイッター、wikiなど、情報を蓄積・発信するのに用いているメディアやチャンネルが多くなりすぎて、これらを適切に使い分けることが難しくなってきた。問題の一つは、PukiWikiからMediawikiに乗り換えたもののMediawikiがPukiWikiほど使い勝手が良くなかったということである。とはいえPukiWikiもペイジを作成したときにペイジの名前によっては極端にファイル名が長くなりすぎるなど、いろいろ問題を抱えていたのも事実。情報を効率的に操作できるツールがどんどん出てきても、それらの使い方を覚えるのにかかるコストなどを加味すると、わたしたちの生活はそれほど劇的には変わっていないんだよなあ。思いつく限りではせいぜいパソコンが一般に普及したのとインターネットが普及したことぐらいで、あとは大したことないもんなあ。これに携帯電話の普及を入れるべきだと考える人もいるだろうけど、わたしは携帯電話が普及したことで普段の生活における情報操作が劇的に効率化したとは考えていない。とはいえ以上のような判断をする上で、わたしが記憶の外部化を重視していることが少なからず影響しているであろうことは見積もっておく必要があるかもしれない。

2010年5月30日(日)の日記

 コメントスパムが鬱陶しかったので、とうとうwordpress.comのアカウントを取得し(てAPI-Keyを発行してもらい)、コメントスパム対策プラグインAkismetを導入する。

 これは昨日食べた笑福のラーメン。

20100529笑福のラーメン(野菜・かつお増し増し)

  • J. B. Schneewind, Essays on the History of Moral Philosophy, Oxford U. P., 2010.

の最後についている自伝的に書かれた”Afterword”がとてもおもしろい。

 このこじんまりした哲学専攻は居心地がよかった。私は何人かの大学院生とも知り合いになり、とくにビル・グラスと親しくなったのだが、彼はまだ小説を書き始めてはいなかった。そして私は学部のゼミに参加し始めた。私が学部3年生だったある日、チェック柄のシャツを着た年配の男がゼミに顔を出した。私はまあ教員の父親だろうと思っていた。発表が終わり、沈黙があった。ついに先ほどの年配の男が口を開いた。彼は30分ほど話し続けた。私は彼の話していることに実際についていくことはできなかったけど、ブラック〔訳注:マックス・ブラック、コーネル大学で言語哲学、論理学などを教えていた。シュニーウィンドのアドバイザー〕が葉巻に火をつけていなかったこと、そしてみんなが注意深く耳を傾けていたことに気づいたのである。その見知らぬ人が話し終えたあと、ブラックが言った。「ウィトゲンシュタイン教授がちょうど提案されたように…」私はその名前に聞き覚えがあったけれど、彼のことは何も知らなかった。(これは『哲学探究』が出版される前である)議論のあと私たちが立ち去るときブラックが私の方を向いて重々しくこう言った。「今日のゼミのことを覚えとくんだぞ」 [上掲書、409-10頁]

2010年3月1日(月)の日記

 うぅ、もう3月か。なんて早いんだ。

 galerie 16が移転していたことを確認。先週の土曜日に個展をやっているところまでは確認していたけど、まさか移転していたとは。

 ビール風味炭酸飲料のもう一つの魅力に最近気がついた。それはたまにビールを飲んだとき、とてもおいしく感じられるようになったことである。